4月初めに、それまでの格安SIMからソフトバンクに変更し、iPhone SE(第3世代)にしました。
スマホの買い替えでどっと疲れた話 - 早期退職、セミリタイア生活日記
割高なソフトバンクにしたのは「アメリカ放題」を使いたかったから。
アメリカで通話とネットが使い放題というのは、かなり魅力的。
5月にハワイに旅行する予定があったので、それまではソフトバンク、帰国後はすぐに格安SIM(LIBMO)に戻しました。
ブラックリストに載るかもしれないけど、もうキャリアを変えるつもりもないし、ま、いいか~。
ソフトバンクの2か月間は、高い料金ではあったけど、アメリカ放題で元がとれたかな。
今回、ハワイ島では日本にいる時と、全く同じようにネットにつながりました。
島の北端部の方だけ、少し電波が弱くて、ナビが使えなかったけど。
夫が価格比較調査やポイ活が大好きで、色々情報をゲットしてくれるので助かっています。
年を取って、そういうのができなくなったら、割高なものを選ぶことになってしまうかもしれないですが、仕方ないですね。
その頃には「スマホ」に代わる別の通信手段が出ていて、
「まだスマホなんか使っているの~?」なんて言われてしまうかも。
今のガラケーのようにね。
思い出せば、28年ほど前、阪神大震災が起きた時、海外出張中でしたが、その頃は海外に携帯電話なんて持っていくことはありませんでした。
たしかPHSが主流だったような。
もちろんインターネットも使えませんでした。
BBCニュースとかで、関西地方で大地震が起きたというだけを繰り返し伝えていました。
関西のどこかも、なかなか情報が伝わってきませんでした。
22年ほど前の9.11のテロが起きた頃、ガラケーが主流でした。
じゃらじゃらとストラップを付けるのが流行ってたっけ。
ようやくインターネットや携帯電話も海外で使えるようになりました。
海外出張に行く際は、成田空港で海外用のケータイをレンタルしていました。
現地ではホテルの部屋の電話線を引っこ抜いて、日本から持参したケーブルでPCとつないで、インターネットしていたんですよね。
運が悪いと繋がらなかったりして。
Wifiなんてありませんでした。
あのテロの時も、アメリカ出張していた人達の安否確認は数日間取れませんでした。
現地の彼らも何が起きたのかわからず不安だったとか。
貿易センタービルで働いていた知人も、振動があったけど何が起こったかわからず、しばらく仕事していたそう。
今ならTwitterとかで、すぐにあの貿易センタービルの映像も知ることができたでしょう。
この頃、家の固定電話も解約、夫婦それぞれの携帯電話のみとなりました。
最初は銀行やカードなどの書類に携帯電話番号だとNGということもありました。
こうして昔のことを思い出してみると、30年ほどですごい情報システムが進化していることがわかります。
この後の30年はどうなるんでしょうか・・・?