今とは全く違う「就活」
ここから書くことは、はるか昔の話ですので、「ふーん、そんなことがあったんだ~」「そうそう、私の時も同じだった」などと読み流してもらえばと思います。
理系の大学院で学んだことが生かせる会社を探していた時、修士1年の秋に学会の懇親会で出会ったのが、同じ大学のはるか上の先輩でした。
希望する業界では、それなりの地位にあり、広い人脈を持つ方で、就職を希望していると告げると、各社の知り合いに声をかけてくれました。
今と違って、理学部や工学部卒の学生の就職は、大学の先生の推薦やこのような縁で就職が決まっていき、「エントリーシート」「会社説明会」「インターンシップ」などというものはありませんでした。
当時の就職活動は、一般的には「リクルート社」から届く分厚い就職情報誌の後ろについているハガキを企業に片っ端から出して、説明会に参加して面接に上がるという方法でした。
ハガキは出してみたものの、国立大学の女子大学院生ということで、すべて断られました。
というより、返信がない企業の方が多く、ごくまれに「当社は女性の採用は行っておりません」という文書とともに、テレホンカード(懐かしい!)が同封されていたこともありました。
今なら、そんな文書を送ったら「均等法違反」で問題になるでしょうね。
女性の先輩もいましたが、そういえば、みんな公務員や教員になっていて、企業に就職した人なんていなかったということにようやく気付いたのでした。
そんな経験から、理系の大学院に進学する女子学生は、一般企業の採用などほとんどなかったという現実を始めて知ったのです(気づくの遅すぎ!)。
女性社員はお嫁さん候補!?
当時の女性社員は、男性社員の「お嫁さん候補」であり、男性と同等の学歴や業務は求められておらず、コネ入社が当たり前でした。
むしろ格下であることが、男性の優越感を満たすことになっていたかもしれません。
さらに親元から離れて一人暮らしの女性は身持ちが悪いという偏見がありました。だから、私のように親元から離れて暮らしていた、院卒の女性なんて、お嫁さん候補となりえないのです。
高校時代、必死に受験勉強して国立大学に入り、大学院でも研究で成果を出すためにがむしゃらに頑張ってきたのに、そんな現実が待っているなんて、誰も教えてくれなかった・・・。
今のようにインターネットやSNSで情報が入ってくることもなく、身近な人や先生も知らなかったんだろうな。
世の中は、ようやく男女雇用機会均等法が施行され、「花の総合職」と呼ばれる女性が脚光を浴び始めた頃でした。
しかし、ごく一部の大企業しか女子総合職の採用は行っておらず、私が希望する業界でも女性の技術職は4名しかいないという状況でした。それも、後から知ったことでしたが、正社員ではなかったり、一般事務職としての採用だったそうです。
私に声をかけてくれた大学の先輩(男性)も、各社へコンタクトをとってくれたものの、女性の採用はありませんと断られ、採用してくれたのが、この会社だけでした。
そのことには感謝していますが、技術職に女性の枠はなく、一般事務職としての採用だったのです。
それでも、あこがれの業界には入れるということで、うれしかったのを覚えています。
のちに現実を知ることになるのですが・・・。
24歳で入社した私はお嫁さん候補としてはみなされず、かといって仕事では対等に扱ってももらえませんでした。給料は一般事務職と同じ、仕事は総合職の男性と同じレベルを求められ・・・搾取されているという不満が常にありました。だからと言って仕事を手抜きしたら評価されないので、人並み以上に成果ださなければと思っていました。
あの頃は女性の年齢をクリスマスケーキに例えて、25歳を過ぎると売れ残りといわれたものです。
30歳で結婚できなかったら、もう一生独身、オールドミス(今では死語)と呼ばれたものです。たしか、30歳以上の妊婦は高齢出産とされ、「マル高」と呼ばれていました。今は、30代後半で結婚し出産する方も増えていますが、逆に不妊が問題になっているようです。あの頃は20代で出産する方がほとんどだったので、そういう問題はあまり表に出てこなかったのかもしれません。
仕事か家庭か二者択一
今でこそ、女性は結婚しても働くのが当然になっていますが、あの頃は「寿退社」が当たり前でした。
女性は、「仕事」か「家庭」かの二者択一で、両方を手に入れるなど、あり得ませんでした。この年代でお子さんがいて管理職になられた方は、相当苦労されたと思います。今ほど、育児支援のサポート体制もなかった時代ですので・・・。
結婚後も仕事を続けるなら、夫の許しがないとならず、家事と育児を手抜きしないことが条件だという話をよく聞きました。
そんな時代に、芸能界では松田聖子が結婚しても辞めず、出産後も復帰したことでかなりのインパクトがありました。
初めて、女性も両方を手に入れてもいいのだと気づきました。
その後、小和田雅子さんが外務省のキャリアコースで、バリバリ働いているのを見て、あこがれたものです。
お妃候補になり、記者に追いかけられても、きっぱりと「外務省を辞めるつもりはございません」と言った時の様子をみて感激しました。
その彼女が29歳で結婚し、男性と同等(以上?)の能力がある女性でも結婚できるということが示され、女性の結婚適齢期は一気に上がったように思います(当時は31歳を「大晦日」と呼んでいました)。
気が付けば女性も働くのが当たり前に?
入社後、世の中はバブル崩壊で就職難となり、「リストラ」が流行語になりました。
男性の年収も下がり、とても「専業主婦」を生涯養い続けることができなくなってきたのです。
必然的に女性は、「仕事も家庭も」抱えなければならない状況となったわけです。
それまでは「三高」といって、「高学歴、高収入、高身長」の男性がもてはやされたものですが、「三高」なんて、もはや死語ですね(笑)。あの頃、結婚相手に求める年収は20代半ばの男性で800万円以上は当たり前であったと思いますが、今はそのような男性はまずいないらしいです。女性の身長も伸びました・・・(笑)。
今の時代は、男女平等となり(表向きは)、女性の方が高収入の夫婦やカップルも増えてきました。
また、子育て中だからと言って、仕事の量や求められる成果が減らされるようなことも少なくなったように思います。子育て支援制度も充実はしてきていますが、男性も仕事が忙しく育児に関われないことが多く、まだまだ女性にかかる負担は大きいと思います。
何年か前の事件で、ベビーシッターの男が泊り保育で預かった幼児を殺害するという事件がありました。その時の報道で、その母親は急な泊りがけの出張の際はインターネットでシッターを探して預けていたという話をしていました。古い時代を生きてきた私には、幼い子が2人いるシングルマザーに急な泊りの出張を命じる会社があるのかと驚いたものです。女性も男性と対等に働かないと、容赦ないのだな・・・と、気の毒になりました。
昔の方が、女性にとっては幸せだったのでしょうか・・・?
90年代の総合職世代の女性たちも、男性と同等か何倍も働かないと認めてもらえないため、がむしゃらにがんばり、力尽きて辞めていく人が後をたちませんでした。
今でも会社に残り、それなりの地位にいる女性管理職は、ほとんどが独身か既婚子なしの人と聞きます。
若い世代からみると、そこまで仕事一筋で頑張る意味が分からない、ロールモデルにならないと言われてしまいます。
しかし、私の世代の女性が若いころもロールモデルとなる女性の先輩はいませんでした。
今、家庭と仕事の両方を充実させる生き方(ワークライフバランス)が理想となり、若い世代はそれを切り開いて、後輩のロールモデルとなっていく役割なのだろうと思います。
「[(3)入社10年目を過ぎて](https://zuikei.hatenablog.com/entry/2019/07/05/history3/)」に続く